スペン・キングとゴードン・バシュフォードが、グラハム・ブランノックと相談して、新型ロードローバーの仕様書を作成したのは、1966年7月19日のことでした。

ちょうどこの頃、ローバー社は、別の英国自動車メーカーである「レイランド自動車会社 Leyland Motor Corporation」に買収されており、キングらはこの新プロジェクトの開発を継続できるかどうかについて、不安を感じていました。買収から数カ月後、新型ロードローバーの開発計画を知ったレイランド社の重役たちは、その内容を詳しく検討した後、「これは、なかなかいいアイデアだから、今後も開発を続けるように」とのお達しをキングやブランノックに下しました。

本社買収の危機を無事に乗り切ったキングらは、1967年1月に新型ロードローバーの原寸大の木製モデルを作り上げ、1967年7月には、走行可能な最初のプロトタイプが完成しました。

社内では「コンセプト・オイスター(試作車「牡蠣号」)Concept Oyster」と呼ばれていたこの初号プロトタイプ(正式名称は LR100/1、社内の管理用車体番号は SYE 157 F)は、運転席にしかシートが付いていませんでしたが、各種のテストを次々とクリアして、開発陣を喜ばせました。

ところが、1968年1月にプロトタイプの2号車( LR100/2、車体番号 ULH 696 F)が完成した直後、新ロードローバーの開発スタッフ全員に大きな衝撃を与える事件が発生します。レイランド社の会長ドナルド・ストークス Donald Stokes がスペン・キングの才能を高く評価して、レイランド傘下の別の自動車ブランドである「トライアンフ Triumph」の開発総責任者に任命したのです。キングは当時の心境を、こう振り返っています。
「話を聞いた時には、唖然として言葉を失ったよ。だが、私には選択の余地はなかったんだ。」

この人事異動によって、実質的な生みの親であるスペン・キングはプロジェクトから離れることとなり、開発作業はバシュフォードとジェフ・ミラーの手に委ねられます。彼らは、キングの抜けた穴を見事に補い、新ロードローバーの開発テストを着実に進行させていきました。

 

プロトタイプ第一号「コンセプト・オイスター号」。
全体的に、生産型のレンジローバーと似たようなスタイリングですが、
開発サイドで適当にデザインしたというだけあって、
フロント周りのデザインは、かなり野暮ったい…。

 


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