第二次大戦が終結した1945年当時、イギリスは戦災による生産設備の損害と、莫大な戦費の支出によって経済的な危機に直面しており、政府は事態打開のために、あらゆる産業を外貨獲得のための輸出に振り向けるとの政策を実施しました。そして、自動車産業に対しても、輸出優先の新車開発を推奨し、鉄鋼などの材料も輸出用の車輌生産に優先的に割り当てられることが決定しました。

このような政府の輸出優先政策は、それまで国内向けにしか自動車を作ってこなかったローバー社には寝耳に水の出来事でした。過去の輸出実績のない同社の工場には、1年間に2万台を生産できる能力が備わっていましたが、政府から割り当てられた資材は、年間わずか1000台分に過ぎなかったのです。

危機感を覚えたローバー社の幹部たちは、なんとかしないと会社がつぶれてしまうと考え、何か輸出に最適なクルマはないかと考えました。そんな時、技術部長としてローバー社に勤務していたモーリス・ウィルクス Maurice Wilks が、兄であるローバー社の専務スペンサー・ウィルクス Spencer Wilks にひとつの提案を行いました。「アメリカ製のジープ the Jeep と同じような、小型で頑丈な汎用四輪駆動車を作ってみてはどうでしょうか? おそらく、第二次大戦後の戦後復興を進めているヨーロッパ各国では、この種のクルマの需要は大きいと思いますよ」

実は、このモーリス・ウィルクス自身も、自分の保有する農地管理などで、軍払い下げの中古ジープを愛用していましたが、交換部品がなかなか手に入らず、もし大きな故障が発生すれば手放さざるを得なくなることは確実でした。そのため、同種のクルマを自分たちの手で作ることができれば、輸出だけでなく、イギリス国内でも人気が出るはずだと考えたのです。

こうして、ローバー社を救うためのプロジェクトとして、汎用四輪駆動車の開発がスタートしました。車体設計はほとんどジープのコピーでしたが、政府の割り当て制限でボディに使う鉄が不足しているため、戦争の終結で逆に余剰資材となっていたアルミを安く買い受け、バーマブライト Birmabright と呼ばれるアルミ合金で、組み立て加工の容易な箱形のボディを設計しました。また、最初に作られたプロトタイプ(試作車)では、左側走行の国(イギリスなど)と右側走行の国(ヨーロッパ各国など)のどちらにも手を加えずに販売できるよう、ハンドルが三人掛け座席の中央に設置されていましたが、さすがにこれは違和感が大きくて使い勝手が良くないということで、ふつうのクルマと同じような、右または左の形式に改められました。

1948年4月30日、ローバー社の汎用四輪駆動車「ランドローバー」がデビューすると、各国から注文が殺到し、初年度で8,000台、2年目には倍の16,000台を販売するという大きな成績を挙げることに成功します。この成功により、モーリス・ウィルクスの社内での地位は格段に上昇し、ランドローバーはローバー社の「救世主」として、同社の開発部門の中でも重要な地位を与えられるようになりました。

初代の発表から10年後の1958年、ランドローバーはモデルチェンジを受けて「シリーズII」と呼ばれるモデルが登場します。1971年には新型の「シリーズIII」が導入され、1976年にはランドローバーの累計生産台数が100万台の大台を突破しました。そして、1978年にはランドローバー部門がローバー社から独立し、新たに「ランドローバー・リミテッド Land Rover Ltd.」という名称で、世界唯一の「四輪駆動車しか作らない自動車メーカー」としての活動を開始したのです。



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