1896年に設立された「ローバー自転車株式会社 Rover Cycle Co. Ltd.」は、初年度に11,000台の自転車を製造・販売し、21,954ポンドという大きな利益をジョン・ケンプ・スターレイとその仲間たちにもたらしました。

ちょうどその頃、「安全自転車」の考案者であるハリー・ローソン Harry Lawson がコベントリーに現れ、使われていない紡織工場を借り受け、外国製自動車のライセンス生産工場へと作り替えていました。そして、同じ町で自転車工場を営むスターレイに目をつけた彼は、会社を合併して一緒にこの事業をやらないかと勧誘します。

ジョン・ケンプ・スターレイは、会社を合併するというこの勧誘には乗りませんでしたが、これをきっかけに発動機付きの乗り物にも関心を寄せるようになり、1899年に数台のプジョー Peugeot 製のオートバイをフランスから輸入して、その仕組みを熱心に研究しました。当時のイギリスには、デイムラー Daimler(1896年創業)やウォルズレー Wolseley(1896年創業)、ランチェスター Lanchester(1896年創業)、レイランド Layland(1896年創業)、ライリー Riley(1898年創業)などの初期の自動車メーカーが産声を上げようとしていた頃で、これはいけそうだとの手応えを感じたスターレイは、ローバー自転車に発動機を取り付けるプロジェクトをスタートさせたのです。

1901年10月、ジョン・ケンプ・スターレイは、まだ46歳という若さでこの世を去りましたが、彼の遺志を継いだ仲間たちは、ローバー自転車の自動化というプロジェクトを継承し、1902年11月24日には遂に、最初の「ローバー製オートバイ」を完成させます。

この成功で自信を持った「ローバー自転車株式会社」の経営陣は、1903年12月16日に自動車の製造事業を正式に開始し、ライバルのデイムラー社からエドムンド・ルイス Edmund Lewis という設計者を引き抜いて、四輪自動車の新規開発を進めさせました。それから1年後の1904年、8馬力のエンジンを搭載した最初の四輪自動車を完成させた彼らは、事業内容の重点を少しずつ自転車から自動車へと移行させ、1906年6月には会社名も「ローバー自動車株式会社 Rover Motor Co. Ltd.」へと変更しました。



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