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◆ 1830年4月21日、ジェームズ・スターレイ James Starley は、英国サセックス州アルボーンに住む農民の家庭に生まれました。子供の頃から機械いじりの好きだったジェームズ少年は、田舎暮らしに飽き足らなくなって、十代の頃にはコベントリーの街で働き始めました。 ◆ 1861年、当時31歳のスターレイは「ニュートン・ウィルソン Newton Wilson Company」というミシン会社で工場長を務めていたジョシア・ターナー Josiah Turner に誘われて、同社へと入社します。かねてよりスターレイの発明分野での才能を認めていたターナーは、彼なら自分で会社を設立しても充分やっていけると考え、2年後の1863年に2人で会社を辞めて「コベントリー・ソーイング・マシン Coventry Sewing Machine」という新会社を設立しました。 ◆ 1867年、フランス旅行から帰国したジョシア・ターナーの甥のローレイ・ターナー Rowley Turner が、土産として持ち帰ったフランスの「ミショー兄弟 the Michaux brothers」社製の三輪自転車を見て、スターレイは新たな創作意欲をかき立てられ、これと同じものを作ってみようと三輪自転車づくりに没頭します。その後、1868年にフランスからの注文を受けて、三輪自転車の製造なども手掛けるようになると、ミシンを意味する「ソーイング・マシン」という社名では何かと不都合だということになり、1869年に会社名を「コベントリー・マシニスツ(コベントリーの機械工たち)Coventry Machinists'」へと変更しました。 ◆ 1870年のある日、スターレイと仲間のウイリアム・ヒルマン William Hillman は、前年に彼らが作った二輪自転車「アリエル The Ariel」で特許を取得し、二輪自転車の商品化にも力を注ぐようになります。この「アリエル」は、前輪が後輪よりも格段に大きな設計で、センターピボット式ステアリングとスポーク式のホイールを備えていました。ミシンよりも、自転車の機構をいろいろ工夫する方が面白いと考えたスターレイは、「コベントリー・マシニスツ」を退社して新たに「スターレイ・アンド・カンパニー Starley & Co.」を設立、やがてバースウィック・スミス Berthwick Smith というパートナーを仲間に引き入れて、社名も「スミス・アンド・スターレイ Smith & Starley」へと変更します。 ◆ 1881年6月17日、スターレイはワーウィックシャー州コベントリーで、51年の生涯を終えます。しかし彼の自転車事業は、数年前に甥のジョン・ケンプ・スターレイ John Kemp Starley と彼のパートナーであるウイリアム・サットン William Sutton へと引き継がれており(社名も1877年に「スターレイ・アンド・サットン Starley & Sutton」へと改称)、1884年にまず3輪自転車の「ローバー Rover」を完成させ、翌1885年には同じ「ローバー」の名称で2輪自転車を発売しました。 ◆ 2輪自転車の「ローバー」は、1879年にハリー・ローソン Harry J. Lawsonという人物が考案した「安全自転車 safety bicycle」のアイデアを数多く採り入れた設計で、同じ大きさの車輪を前後に配置し、菱形のフレーム構造で、チェーンによって後輪を駆動する方式を採用していました。 ◆ ジョン・ケンプ・スターレイの生んだ「ローバー」2輪自転車は、イギリス国内で大きな人気を博し、1896年には会社名も「ローバー自転車株式会社 Rover Cycle Co. Ltd.」に変更されました。 |
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